【旅行】台湾・台南の話(日月潭、阿里山、阿里山鉄道)

【旅行】台湾・台南の話(日月潭、阿里山、阿里山鉄道) 旅行

友達が台南に行った話を聞き、思い出が甦った。
台湾を半周したのはちょうど20代前半。スイスから帰国し海外欲が高まっていたある年のGW。格安航空券を握りしめ宿も取らず旅立ったのが台湾だった。

日月潭とは


台北は今も昔も変わらず都会的で東京と代わり映えしない景色にウンザリし、バスターミナルから「日月潭」まで移動した。
関東でいう軽井沢のような雰囲気。「日月潭」という湖を囲んだ小さな街は夜になると幻想的な光が辺りを包み込む。飛び込みで宿を決めたあと、翌日のプランを考えた。


今みたいにスマホもなく携帯も海外ローミングが普及していなかった時代。
旅行ガイドブックと現地で仕入れた地図を頼りに行き先を「阿里山」に決めた。
見ると「日月潭」から一本道で繋がっている。しかし翌日フロントで聞くとダイレクトのバスはなく、タクシーをチャーターしないと無理。その場合の金額は当時の貧乏旅行では無理だった。


仕方なくローカルバスとローカル鉄道に乗って「高雄」から目指すことにした。
バスを待ってると日本人の大学生の男の子から「日本人ですか?」と声をかけられた。さらに日本人で台湾の考古学をしている学者の先生も並び、「こんな田舎町で日本人が並ぶなんて珍しいですね」など談笑に耽っていた。
さらに中国人のおばちゃん3人組も並び、自分以外の2人は中国語を話せるから5人×自分で会話が弾む。「この方々も阿里山に行くみたいですよ」、そう通訳してくれた学者のおじさんは降車。さらに大学生の男の子も駅に着くと方向が異なりサヨナラとなった。言葉の通じない自分とおばちゃんたち。おばちゃんたちは台湾でも中国語が通じるから自分を率いてどんどん連れて行ってくれる。


ローカル鉄道の車内ではメモに漢字を並べて意思疎通を行なった。
「嘉義」に着くとそれまでの田舎町から変わって一気に都会的な喧騒を醸し出す。おばちゃんたちともサヨナラかと思いきや「1,2,3,4で阿里山」と4人で阿里山に行くこととなった。
すでに夕方を迎え、駅前のボロ宿に連れて行かれ、宿泊することに。おばちゃんたちと自分はもちろん違う部屋。
窓もない独房みたいな部屋だったけれど、気分転換に点けたテレビから流れる洋画が名作で深夜まで見入ってしまった。
後年Amazonが登場し朧気な記憶を頼りに作品を見つけたときの感動は忘れらない。今でも我が家の大切なDVDとして保管している。

阿里山へ


朝7時、フロントから電話が鳴りおばちゃん達が来ているからチェックアウトととのこと。眠気眼で支度し急いで受付でチェックアウト。
いつの間に「阿里山」までのバスターミナルを見つけてきたおばちゃんたちの後ろに並び朝方バスは出発した。
寝不足のためバスで眠っていると、休憩で止まったコンビニでおばちゃんが牛乳やパン、ゆで卵を買ってきてくれて「謝謝」と拙い中国語で御礼を伝え朝食代わりに食べた。


それからまた数時間経つと阿里山についにたどり着く。ビジターセンターに着くと英語ができる人が現れ、通訳してもらい「一人でまわるからここでバイバイ」と伝えてもらい、おばちゃんたちとの旅は終わった。
阿里山は高尾山のような低山でありながら自然豊かな山で久しぶりの自然に癒やされながら散歩をした。ルートが一周まわる形でおばちゃんたちともすぐに再会。「阿里山からどうやって帰るの?」と聞かれたので「阿里山鉄道」と伝えたら「バスのほうが安いよ」と教えてくれた(ジェスチャーや筆話で)。

阿里山鉄道の旅


おばちゃんたちと再度のお別れをし、阿里山鉄道のチケットを購入。座席に座り車窓を眺めていると肩を叩く人が。
おばちゃんたちも阿里山鉄道で下ることに決めたそう。


阿里山鉄道は森の中を走る鉄道マニアに人気の電車らしい。途中ではなぜか見送りをしてくれる学生たちがいたり、乗り換えのため山の中で降ろされ山道を下る羽目になるなど印象深い鉄道旅行だった。


最終的に無事に「嘉義」に着くと、本当に本当のお別れ。おばちゃんたちは孫を見るような優しい目で「元気でね」と腕を擦り、開けたままのリュックのファスナーを閉じてくれた。
いつか、「北京にも来てね」という言葉に初めておばちゃんたちが「中国・北京」から来たことを知った。
台湾と中国の政治的な歪み合いはあれど、一人の一般市民には関係のないことだということを、このときの経験がキッカケとなっている。
その後、泥の温泉で有名な「関子嶺温泉」へ行きひと波乱あるのだけれど、それはまた別のお話。

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