『セザンヌと過ごした時間(Cézanne et moi)』映画の感想、レビュー、あらすじ、ネタバレ

『セザンヌと過ごした時間(Cézanne et moi)』映画の感想、レビュー、あらすじ、ネタバレ フランス
『セザンヌと過ごした時間(Cézanne et moi)』映画の感想、レビュー、あらすじ、ネタバレ

『セザンヌと過ごした時間(Cézanne et moi)』とは?

『セザンヌと過ごした時間(Cézanne et moi)』とは、ポール・セザンヌとエミール・ゾラの長きに渡る友情を描いたフランスの伝記ドラマで、パテとセテラ・インターナショナルが配給をし日本では2017年に公開されました。

どんな内容?あらすじは?

『セザンヌと過ごした時間(Cézanne et moi)』は、現代では当たり前のように有名な絵画作家のポール・セザンヌと文豪・文筆家であるエミール・ゾラ。彼らが幼少期より友達で、老年まで長きに渡り、友情関係であったことは、知る人ぞ知る関係性でした。

本映画は、そんなセザンヌとゾラの二人の半生を描いた作品です。日本語タイトルを見ると、ゾラ視点でのセザンヌと過ごしたドラマのような受け取り方もできますが、仏題にもある、セザンヌと私という二人の人生の二軸が交互の視点で描かれています。

ネタバレ

ポール・セザンヌは近代絵画の父と呼ばれるように、「田園詩」や「草上の昼食」といった自然画を沢山描いており、晩年になって評価されるという、大器晩成型の画家でした。

逆に、エミール・ゾラは、「ジェルミナール」や「居酒屋」、「ナナ」といった作品で若い内からヒットを飛ばし、売れっ子の作家へと進んでいく対照的な二人の才能と人生。

本作『セザンヌと過ごした時間(Cézanne et moi)』を観て、その二人の人生の真逆性に一気に引き込まれました。

というのも、セザンヌは銀行家の父親の元に生まれて、大きな屋敷、沢山のメイド、美味しい食べ物と、不自由ない暮らしをしていた反面、ゾラは、父親をなくし、小学校ではいじめられ、苦労の連続でした。

そんな、ゾラに目をかけたのがセザンヌで、いつしか二人は仲良くなり、お互いに青春時代を過ごし、画家になる夢と、作家になる夢を持ちながら、成長していくのでした。

苦労と堅実性を持ち合わせ、強かなゾラと、飄々とし悪ぶれもせず、距離感ゼロで相手との間を詰めるおぼっちゃま育ちのセザンヌ。

誰とでも初対面では仲良くなるセザンヌは、時間の経過とともに疎まれる存在に。

第一印象は薄いものの、確実な人間性で信頼と人気を得ていくゾラ。

まさに、性格やキャラクターまで正反対なのでした。

ドラえもんで言う、のび太と出木杉くんと言えるでしょう。

決裂と別れ、再会

ゴッホとゴーギャンに似たような関係性の中、パリを離れ地元のエクサンプロヴァンスに戻ったセザンヌとパリで相変わらず活躍するゾラ。

時折ふたりは、再会をして、人生やこれから、今後のことを吐露するように話すのですが、すでに成功した作家となったゾラと、画家として一旗揚げたいセザンヌでは、会話は成り立ちません。

さらに、「制作」という画家を主人公にした小説を発表したゾラ。小説では、セザンヌと思われる人物をモデルにしていたため、そのことに激怒したセザンヌ。

この機会をきっかけに、二人の関係は途絶えてしまうのでした……。

手紙の発見

現代に戻り、セザンヌからゾラへ宛てた手紙は、オークションのサザビーで発掘されました。その内容を元に、監督であるダニエル・トンプソンがイメージを膨らませ、実は二人は再会していたのではないかと、脚色されたものが本映画の醍醐味でしょう。

まとめ

セザンヌとゾラの関係性を上手に切り抜き映画作品です。二人の苦悩と葛藤、生き様には絵や小説しか知らなかった人には、新しい見解が見つかるでしょう。

他にも、マネやモリゾといった著名なアーティストを始め、タンギー爺さんやアンブロワーズ・ヴォワールといった美術商、画商まで登場し、美術好きにはたまらない作品となっていておすすめです。

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