『アイ・アム・サム(I am Sam)』とは?
『アイ・アム・サム(I am Sam)』とは、ジェシー・ネルソンが監督、ショーン・ペン(Sean Penn)が主演で、娘役をダコタ・ファニング(Hannah Dakota Fanning)が演じ、ニュー・ライン・シネマで配給されました。ショーン・ペンは、アカデミー賞主演男優賞にノミネートされるほどの熱演です。
どんな内容?あらすじは?
『アイ・アム・サム(I am Sam)』は、7歳児程度の知能しか持たない知的障害者の父親と、ひょんなことから産まれた娘との親子の愛情を綴ったファミリームービーです。
主に、物語は、7歳の誕生日を迎えようとする主人公の娘と、7歳の誕生日を迎え、そして父親の知能を追い抜いたら、果たして、親子の関係はそのままでいられるのか、また娘の成長を願うことで、周りの福祉局の人たちが、里親へと出そうとする中で、裁判で親権を争う葛藤のストーリー。
『それでも、やっぱりパパが好き!(Infinitely Polar Bear)』や『博士と彼女のセオリー』(The Theory of Everything)、『幸せをつかむ歌(Ricki and the Flash)』のようなハートウォーミングな内容となっています。
ネタバレ
ハンディキャップをテーマにした作品は多々ありますが、本作もハンディキャップ×親子の絆を描いた作品。
スターバックスコーヒーで、片付け係のウェイターをしている主人公は、娘の父親として育児を出来る限り尽くしていました。
しかし、7歳を迎えると、娘は、父親よりも知的になり、父親よりも知らない言葉や世界、物事を理解し始めるのです。
親権を争う裁判
福祉局によって離れ離れになってしまった主人公と娘。娘とまた暮らせるのを願い、有能な弁護士事務所へ裁判の依頼を頼みにいきます。
本作の中盤の見どころといえるでしょう。
父親と娘の間に、第三の人物が登場。
優秀でお金もあり、旦那と息子に恵まれているはずなのに……。
しかし、内実は夫は浮気をし、息子は仕事人間の母親を腫れ物扱い。
劣等感に苛まれており、優秀でも家族の愛情がない面と、知的障害者があっても、愛情に満ちた親子関係に羨ましくも感銘を受けるのでした。
ダコタ・ファニングの聡明さ
今や子役から女優へと駆け上り、様々な映画に出演しているダコタ・ファニング。当時は子役ならではのきらめきと、利発さを見せ、日本でいう安達祐実や芦田愛菜、外国で言えば、エマ・ワトソンのような雰囲気を醸し出しています。
ハンディキャップがある父親を守ろうと必死に、周りの大人たちを牽制しますが、実は守られていたのは、父親の単純明快でシンプルに愛情を注ぐ娘の方でした。
まとめ
有能とは何か、愛情とは何か、シンプルな人間の優しさを感じさせる素敵な作品でした。
いわゆる、悪い人がいない。
皆がそれぞれ想いや最善を思い、それがぶつかってしまい、それが裁判になってしまったというのでしょうか。
とはいえ、人間も人生も一筋縄で行きません。音楽大学を主席で卒業しながらも外出恐怖症のアニーが、二人のために裁判に出席するも、実の父親のことを投げかけられ、大きな悲しみがフラッシュバックされたり、里親の二人の子供を持ちたいという願い、他にも証人として出席した人たちの人生の岐路を、断片的なセリフで表しているのは見事です。
そして、そんな深い蓋を閉めた過去ですら、武器として使い戦わなければならない裁判としての非情さ。
そんな法廷ドラマも魅力の本作です。ぜひ家族で鑑賞してみるのをおすすめします。