『推し、燃ゆ』感想、レビュー、あらすじ、ネタバレ。「蹴りたい背中」違い

『推し、燃ゆ』感想、レビュー、あらすじ、ネタバレ。「蹴りたい背中」違い 書評

『推し、燃ゆ』とは?

『推し、燃ゆ』とは、当時21歳の宇佐見りん氏が執筆し、2020年9月に河出書房新社から出版されました。その後芥川龍之介賞を受賞し、同立最年少記録を果たしました。

どんな内容?あらすじは?

『推し、燃ゆ』はいわゆる推し活をしているファンや追っかけである主人公を通して、”推し”の存在がどういったものかを描いた作品です。一見軽いトーンでありそうながら、全体的に低めのトーンのため読みやすくもあり、内面に潜っていくような感じです。

綿矢りさ氏の「蹴りたい背中」や、児玉雨子氏の『誰にも奪われたくない』のような作品性となっています。

ネタバレ

主人公のあかりは、高校生の女の子。アイドルグループ「まざま座」の上野真幸を推し活している、一見すると普通の女子高校生だ。

けれど、物語を読み進めるうちに、それが一般的じゃない(普通じゃない)と気づく。

視点1:主人公あかり

基本的に本書は、主人公あかりの一人称で物語は進んでいく。そのため、アイドルの真幸の視点も、他の人間があかりをどう思っているかも、読者は掴みきれない。

あかりは、一見すると普通の女子高校生でありそうながら、わかりやすくいうと、ポンコツタイプだ。

他の人間であれば暗記や暗算、計算ができるようなことも、かなり遅れを取っている。

けれど、知的障害者というのでもなく、おそらくADHDなど何かしらの障害を抱えていると思われるが、特にそれに見合うエピソードは存在しない。

後半、医者から検査したほうがいいと告げられたというモノローグはあるが。

バイトと学校生活

推し活するには、お金が必要だ。

あかりは、街の鄙びた居酒屋でバイトを始めるが、色々なミスを連発してしまう。

特にお客さんがごった返し、注文が多くなると、頭がパニックになってミスを起こしてしまうのだ。

店長も女将さんも、女子高校生という若い故の不器用さと納得し、求人してもなかなか人が来ない店。愛嬌はないが若さはあるあかりを、ミスは多いがなんとか雇用している状態だ。

あかりにとって、バイトは、推し活をするための必要不可欠な存在。だからこそミスが多くても、1時間働けば、8時間働けば、推し活に貢ぐことのできる金銭価値を意識している。

一方で、学校は明かりにとって推し活は全く関係のない世界。

成績も悪く、クラスにも馴染めないあかりは、授業より保健室で休む事が多くなった。

最終的には、バイトもクビになり、学校も中退するハメとなる。それくらい不器用というか一般的な人より劣っているのである。

それが学業や社会生活に向き合った結果であれば良いのだが、まわりは推し活にのめり込んでいることで、人並みに至っていないのではないかと、評価をつけるのだった。

しかし、あかりにとって推し活とは、生きがいそのもの。人生である。何も上手く行かないなかで、推し活をしている間は希望を見いだせるのだ。

上野真幸の視点

視点といっても彼目線の思いは綴られていない。

一方的にファンであるあかりが推しているにすぎないが、そもそも、彼が他人を殴ったことがスクープされ、推し活の生命が消えて行くキッカケとなる。

今まで人気絶頂だった推しが、スキャンダルをキッカケに堕ちていく。

それを見限るファンもいれば、支えようとするファンもいる。

もちろん、あかりは支える側だ。

彼の存在そのものが、あかりの生きがいである以上、推さないという選択肢は存在しないのだ。

しかし、上野真幸は、ライブ配信中に辞めることを伝え、というかグループが解散になることを暴露し、女性問題も明るみになるといった、優等生なタイプのアイドルではなかった。

あかりを始めとした、ファンはそんな出来損ないのアイドルでも、自分だけが知っている彼の一挙手一投足を、倍増させ都合の良い男性へと思い込みを変えているのだ。

読者は、そんな上野真幸の「なにがいいかわからない」という思いと、あかりに対しての不憫に思う気持ちが、読み進めれば進めるほど募っていく。

「蹴りたい背中」や『誰にも奪われたくない』との違いは?

まず綿矢りさの「蹴りたい背中」の主人公は、クラスで浮いている存在ではあるが、成績を始めとする人間性に問題を持ったタイプではなかった。

ただ、スタートダッシュというか、クラスに馴染むに遅れをとり、結果として孤立している。

本書のあかりと違って、初実は自分の立ち位置も理解しているし、高校生活を始めとする人間社会で劣等感を感じることはほとんどないだろう。

おそらくコミュニケーション能力に課題があるのだが、「蹴りたい背中」は、そこに初実以上にコミュニケーション能力に課題のあるにな川が登場し、彼の推し活と、彼の存在によって、初実の高校生活および青春が変化していく様を描いている。

初恋?

「蹴りたい背中」の初実は、にな川に恋をしているのか、ただイライラしているのか、というのが発刊当時知人たちと話題になったことがある。

「あれは恋心だ」

「いや単純に友達としてイライラしているんだろう」

など、個々の視点で意見が出たが、

今あらためて思うと。そして『推し、燃ゆ』を踏まえて考えると、

初実はにな川に恋をしている。

しかし、それは憧れやときめきではなく、孤立し孤独で寂しさが心にあった初実の元に、救世主ならぬ人間としてのぬくもりや存在を感じさせるにな川が登場したことで、彼女の心はにな川に奪われたのだ。

そう。それは恋じゃなく、依存なのかもしれない。

だからこそ、にな川を抱きしめたいとか抱きしめられたいとかじゃなく、憧れていないし、むしろイライラするし、でも触れたい=それが「背中を蹴りたい」という斜め上行く曲がった想いに繋がったのだろう。

そこまで考えて書いていたとしたら、すげー!と今更綿矢りさを尊敬してしまう。

では、『推し、燃ゆ』のあかりはどうだろうか。

彼女は、一人孤独だとしても暗い闇の奥に堕ちたとしても、推しさえいれば、寂しさも悲しさも辛さも感じない一線まで行ってしまったのだ。

だからこそ、ラストの推しが引退すると告げたこと、あかり自身は大きな絶望に落とされたしまうのだった。

『誰にも奪われたくない』との違い

誰にも奪われたくない』は、少し毛色が違う。

主人のレイカは銀行員でありながら作詞家として活動し、ひょんなことから推される川のアイドルと仲良くなり、推されるということがどういうことなのか、またスキャンダルによって堕ちていくのかを隣で感じる存在だ。

自分には害がない(実際は盗まれているが)が、そのアイドルとしての生き方や孤高であり孤独な立場をレイカ自身も親近感をもっている。

深い闇を抱えてはいないが、他人が影響を及ぼしてくるという立ち位置は、前者2作品の主人公たちとは異なる。

・孤独で孤立しているがアイドルを推す『推し、燃ゆ』のあかり

・孤独で孤立しているが同級生がアイドルを推している『蹴りたい背中』の初実

・孤立してもいいと思っているのに、色々な人が絡んできて関わって、何かを奪っていく『誰にも奪われたくない』のレイカ

三者三様だが、孤立する立場も、アイドルの立場も、その隣にいるだけの存在も、どれも寂しい人生だと、読みながら感じた。

まとめ

後半の収束具合が貝殻を覗き込むと幾重にも円を描く幾何学模様を見続けている感覚に陥る異端的な純文学で目眩がした。

いつまでも廻り続けるようで必ず終着が待っている。そしてその先には行き着く場のない絶望がしっかりと描かれていた。素晴らしかった。

とにかく大きな展開はないにも関わらず、一人称と独唱だけで最後まで書き終えた文筆力は、読書好きにには読んでほしいおすすめの一冊でした。

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