映画『僕と世界の方程式(A Brilliant Young Mind)』とは?
モーガン・マシューズ氏監督により2014年にイギリスで製作されたギフテッドをテーマにした映画作品です。主演は、ブルーアイズが印象的なエイサ・マックスウェル・ソーントン・F・バターフィールド (Asa Maxwell Thornton F. Butterfield)氏。史実となった『Beautiful Young Minds』を元にした映画でもあります。
どんな内容?あらすじとは?
映画『僕と世界の方程式(A Brilliant Young Mind)』は、幼少時に自閉症と診断されたネイサン。父親はいつも笑わしてくれるが母親とはどこか壁がある関係性。9歳の頃、父親と一緒に乗った車で事故にあい、父親は他界。母親と二人で生活をしていく。そんな母親は悲しみを抱えたまま息子に数学的な才能があることに気が付き、進学校で特別授業を受けられるように図らってもらう。そこで出会ったのが、過去に数学のオリンピック(国際数学オリンピック)に出場したこともある、マーティンだった。彼と、ともに勉強を続け、高校生になりいよいよ国際数学オリンピックへ挑戦する時が来たのでした。
ネタバレ
映画『僕と世界の方程式(A Brilliant Young Mind)』では、自閉症という一般人とは異なる性質や障害を持ちながら、特別な才能(ギフテッド)にフォーカスを充てた作品です。
この2の軸に加えて、父親の他界や国際数学オリンピックに向けての合宿などが混じり合い、さらにマーティンの抱える過去や母親の持つ寂しさが複合的に存在しているので、作品として、すぐに核を見出すのが難しいのです。ある意味前衛的な作品性に近いのかもしれません。
また、舞台も、中盤のほとんどが合宿の舞台である、台湾で撮影されており、また競合国の選手である、中国人チームの女の子との瑞々しい恋愛まで描いており、結末はどこへ向かうのだろうか?と感じながら鑑賞していました。
同じような障害を抱えながらも才能を発揮した作品である、『博士と彼女のセオリー』(The Theory of Everything)に比べると、監督の力量が出てしまった感がありました。
台湾の夜市や町並み、風景、中国人彼女との英語と中国語による交流など、オリエンタルな雰囲気を敢えて表現したかったのかもしれません。
ギフテッドとは?その感情
ギフテッドとは、神から与えられた特別な才能を指す言葉ですが、本作では主に障害と引き換えに数学的な才能を得た子どもたちを描いているのが特徴です。試験の時には、脳の思考性に体が追いつかなくなり、ペンを持たない左手でサイコロを握りしめたり、ボールペンを逆さに持ち、ペン先を指で刺激を与えるなど、試験の時に貧乏揺すりをしてしまうような心理的な負荷が顕著に現れています。
映画『僕と世界の方程式(A Brilliant Young Mind)』の作中でも、問題児とされる子供が自傷行為をしたり、優秀な中国人の女の子が家族や血縁者によるプレッシャーに耐えきれなくなるなど、大人が子供に求めるものが強く出ている作品です。
注目は、そんな才能に恵まれた人間の中で、勉強もあまりできず劣等感を持っているサリー・ホーキンス演じる母親。息子ともっと触れたい、親子の繋がりを感じたい、と思いつつも天才的な側面を持つ息子に劣等感を持ち、教師であるマーティンに数学Bから教わり、息子に少しでも近づこうとする姿は、心に響くものがあります。
結末は、息子ネイサンが求めていたものは、そんなものではなかったことが描かれているのです。
まとめ
家が金持ちだったら、絶対音感があったり、ルックスが良かったら、スタイルが良かったら、地頭が良かったら、賢かったら、もっと……。そんな風に思った事がある人はいるはず。しかし、映画『僕と世界の方程式(A Brilliant Young Mind)』を観てみると、世間が才能に追いついてないところや、常人には理解し難い天才ゆえの苦労が描かれており、後半からぐっと面白くなってきます。
作中で問題児の一人が「才能があるというが、才能の集まる人間が揃えば才能でなくなる。才能がなくなったらどうなる?ただの変人になるだけだ」、と。
できれば、続編も作って欲しい作品のひとつです。