『シン・エヴァンゲリオン劇場版』とは?
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』とは、庵野秀明監督で新劇場版エヴァンゲリオンの「序」「破」「Q」の連続シリーズの最終作品です。
▼『さようなら全てのエヴァンゲリオン~庵野秀明の1214日~』の感想もご覧ください。
どんな内容?あらすじは?
『新世紀エヴァンゲリオン』1995年頃にテレビ東京で公開されたアニメ。全26話で構成されていましたが、25話、そして最終話にあたる26話のラストの締め方に賛否が出ており、ある種の伝説のアニメーションとして金字塔を打ち立てました。
さらに、3年後の1998年に不完全とされていた25話、26話をリメイクした『DEATH (TRUE)2 / Air / まごころを、君に』を劇場アニメ映画として公開。こちらはある程度まとまった内容であったにもかかわらず、ラストのラストでやはり鑑賞者が疑問を呈する終わり方となり、大きな衝撃と話題を呼びました。
本作は、そんなTVシリーズ、旧劇場版を踏襲した、新作でありリメイクでもある新劇場版という位置づけとなります。
エヴァンゲリオンとはどんな作品?
西暦2015年、東京を始めとする日本に、突如として現れた使徒と呼ばれる巨大生物。その使徒からの攻撃を守り、打ち倒すために、人類が造ったのが汎用人型決戦兵器「エヴァンゲリオン」です。
通称、エヴァはそのままでは動かすことができず、シンクロする子供であるパイロットが必要。初号機パイロットである碇シンジが第3新東京市に訪れたことから物語は始まります。
人気の理由は?
エヴァンゲリオンが人気の理由として、優柔不断な主人公と、取り巻く大人や仲間たち。また同じパイロットである感情を持たない綾波レイ、自分本位で感情的な惣流アスカラングレーなど、多彩なキャラクターがストーリーを引っ張っているのです。
また、ストーリーも弱気な主人公が立ち向かう姿である反面、実生活での虚無感や精神世界での対話、独白といったメンタルストーリーも特徴。
加えて、物語全体の秘密を示す「ゼーレのシナリオ」や「ネルフ」など緻密に練られた脚本や脚本が、視聴者に謎を持たせ、観るものは納得しようとして観続ける、追い続けるのでした。
ネタバレ
さて、前段となる前フリは以上となり、今回は『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のお話です。ここからはネタバレが含まれるため、本作を未鑑賞の方はご注意ください。またすでに観られた方も、観る方によって感想や考察が異なるかもしれません。御容赦願います。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』に至るまで。
ここでまたおさらいです。『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の前に、「序」「破」があります。これはTVシリーズとほぼ同じ内容となり、碇シンジが第3新東京市に連れてこられて、使徒と戦います。ファーストチルドレンの綾波レイ、セカンドチルドレンの式波・アスカ・ラングレー(新劇場版から名字が変わりました)との共闘、更に第三の少女である真希波・マリ・イラストリアスの登場と、TVシリーズと同様箇所がありながら、新たな展開もあり、旧シリーズを知っている視聴者ですら、この展開にワクワクしました。
Qの謎
そして、物議を醸しした「Q」の登場です。TVシリーズを模倣した「序」や「破」と異なり、その時代から14年が経過。周りの人たちはパイロットを除いてみんな成長・年齢を重ねているにも関わらず、自分やアスカ、マリは変化しておらず、状況が飲み込めず翻弄される碇シンジ。そして置いてけぼりの観客。
結局また哲学的な内容で終始し、一部のお客たちを落胆させてたのでした。
伏線回収
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』では、そんな序・破・Qの伏線を見事に回収しました。
具体的には、破で碇シンジが起こしたニアサードインパクト。その影響で14年の間に、人口は激減しましたが、一部の地域(第三村)では人々が必死に営みを育んでいました。そこでは、トウジやヒカリが大人になり結婚し子供を作り夫婦として過ごしています。
碇シンジ、アスカ、綾波レイ(初期ロット)は、その村にたどり着き、それぞれが生活していき成長します。
綾波レイは、皆と一緒に畑仕事をして、お風呂に入り、当たり前の生活をすることの大切さを。
碇シンジは、自分の不甲斐なさとやるせなさを、一つひとつ消化していき、自分なすべきことを自覚します。
アスカは、大人になった相田ケンスケの元で過ごし、次の戦いに備えていました。
また、そこでは葛城ミサトと加持リョウジの息子であるリョウジもいるなど、置いてけぼりになっていた碇シンジとは異なり、皆が人生を必死に生きていたのです。
そうです。これは、碇シンジだけでなく、観ている人たちにも訴えかけているシークエンスのひとつでもあります。
最終決戦へ
そして、再度ヴンダーの旗艦船に乗り込み、碇ゲンドウとの戦いに向かいます。
碇シンジは、待機し、アスカとマリが戦いへ。アスカは、13号機の元へたどり着くのですが、ATフィールドに阻まれトドメを刺せません。
そこで、奥の手。眼帯の奥に封印してた使徒を解放するのでした。
しかし、それも碇ゲンドウの計画通り。エヴァと使徒の融合によって、新たなインパクトを起こしてしまうのです。
また、アスカは自死を起こそうとするのですが「オリジナル」のアスカに、「おバカさん」と言われて取り込まれてしまいます。魂が取られてるのですね。
これはTVシリーズでも碇シンジが実際に初号機に取り込まれて、ガフの部屋からサルベージされた経緯もあるので不思議ではありません。
そして、「オリジナル」とアスカが言った理由とは?
そう、アスカも実は綾波レイと同じでクローンされた人間でした。オリジナルが惣流アスカラングレー。そして式波など波がつくキャラクターは皆クローンだったのです。
碇シンジと碇ゲンドウとの親子の戦い
人類補完計画とは、碇ゲンドウが碇ユイを見つけるために行った計画だったのです。そんな父親のエゴや彼の持っていた孤独感、自閉を、碇シンジが自分と同じだったのだと理解したのです。
碇ゲンドウは、碇ユイと、ふたりでその先へ消えていきました。
碇シンジは、アスカにカヲルに綾波レイに別れを告げて、エヴァンゲリオンのない世界へと進むのです。
その際に、アスカに対して、「本当は好きだった」と初恋の相手であることを告げるのです。
ここが旧劇場版のラスト「気持ち悪い」で終わった最後とつながるのです。
あの時は、碇シンジは歪んだアスカへの想いを持ち続けており、アスカも不完全ながら碇シンジに対しての恋心を持っていました。しかし、当時は成長もしていないまさに15歳の子供であり、消化せずに終わった結末が、旧劇場版だったのです。
しかし、本作でそれぞれ成長しお互いを認め合い、過去に思っていたことを伝えることで、今現在から思い出に変えたのでした。
碇シンジはひとり?
では、皆がそれぞれ次のステージに進む中で、碇シンジはまた一人ぼっちになったのでしょうか?
違います。ラストのラストで登場しました。
マリです。
彼女は、碇ゲンドウ、碇ユイと同じ研究をしていた当時16歳(原作コミック参考)の少女。
碇シンジの幼少期を知っていました。
そして、尊敬し愛する碇ゲンドウ、碇ユイの子供である碇シンジに対しても、恋心を持っていたのでした。
その後、紆余曲折があり(本作ではそこは具体的に語られていません)、碇シンジの前に現れて、二人は、高校生ぐらいになったのかな?そこで恋人(パートナー)として、手をつないで、外の現実世界に飛び出すのです。
ラストのセリフは、少し大人になった碇シンジなので、声優は緒方恵美ではなく、俳優としても活躍している神木隆之介でした。
また、ドローンを使い宇部新川駅で撮影されました。
「さあ、夢は終わり。現実に戻りなさい」と、庵野秀明監督が観客へ伝えているかのような気がしました。
まとめ
最早まとめるのも大変な『シン・エヴァンゲリオン劇場版』。ここで書いたのも部分的なものがあり、細かい点を含めると、もっと書かなければなりません。
また、筆者の感想や想いを書いていなかったので、最後に書きたいと思います。
まず2時間半。3時間近くのためトイレは事前に行き良かったです。それでも後半はお腹のあたりがソワソワしてきて、臨界点を意識し始めました。
また、作品も常に緊張感のあるシーンだけではないので、中だるみしたり、眠くなってしまう点もありました。これがもう少し子供の自分だったらワクワクして観ていたのかもしれません。
これは、もう歳ですね。
観ている自分の中で、青春の時代に観ていたときは、「エヴァンゲリオン」の世界が、自分の中の世界の一つで、学校へ行っては友達とワイワイ話すという貴重な時間だったのが、
いま、すでに大人になった自分では、「アニメのひとつ」という作品になってしまっていたのでした。
子供にとっては、自分を形成する命のような作品であっても、
大人の自分からしたら、世界を変えてくれないし、お金もくれないし(むしろ払うし)、数多ある映画のひとつになっていたのです。
しかし、そんななかで燻っていた、初恋の相手に対するような想いや心残りを、ラストのマリと碇シンジの次に進む姿を観て、大人になることを許された気がします。
その瞬間に、大泣きするわけでもなく、綺麗事でもなく、涙が一粒ポロリと溢れ落ちました。
そして、宇多田ヒカルの『One Last Kiss』が流れて、とても沁みました。
これは、エヴァンゲリオンだけでなく、自分自身の人生や関わっている人たちへの想いも帰結したのです。
逆に言うと、経験不足の子供時代は感じられなかっただろう想いですね。
その証拠に、劇場にいた高校生たちは、早速考察を話し合っていました。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は、自分にとって大人の物語。
今子供の人も、20代の方も、30代の方も、40代の方も、50代以上の方も、またいつか観てほしい作品です。
終劇