『アデル、ブルーは熱い色(La vie d’Adele : Chapitres 1 et 2)』映画の感想、レビュー、あらすじ、ネタバレ

『アデル、ブルーは熱い色(La vie d'Adele : Chapitres 1 et 2)』映画の感想、レビュー、あらすじ、ネタバレ フランス

『アデル、ブルーは熱い色(La vie d’Adele : Chapitres 1 et 2)』とは?

『アデル、ブルーは熱い色(La vie d’Adele : Chapitres 1 et 2)』は、チュニジア系の監督アブデラティフ・ケシシュによる映画でジュリー・マロ(Julie Maroh)のバンドシネマ(漫画)を原作とした作品です。

2013年の第66回カンヌ国際映画祭ではパルム・ドールを受賞。主演にアデル・エグザルホプロス (Adèle Exarchopoulos)とレア・エレーヌ・セドゥ=フォルニエ・ド・クロゾンヌ(Léa Hélène Seydoux-Fornier de Clausonne)※レア・セドゥが務めました。

どんな内容?あらすじは?

『アデル、ブルーは熱い色(La vie d’Adele : Chapitres 1 et 2)』は、高校生のアデルは学校のイケメン同級生に告白され付き合うことに。けれど、どこか満たされない自分があり、別れを告げます。

失恋の悲しみの中、同級生の男友達にバーに連れてもらい、そこで知り合ったエマというミステリアスで美しい青髪の女性と知り合います。

二人は同性でありながら恋人となり愛を分かち合うのですが、社会人になり一緒に暮らし始めると、忙しいエマに対して寂しさを募らせ職場の同僚男性と不貞をしてしまうアデル。

それに気がついたエマ激昂し、アデルを追い出ししまうのでした。

『わたしはロランス(Laurence Anyways)』や『キャロル(Carol)』、『(500)日のサマー((500) Days of Summer)』のような作品です。

ネタバレ

アデルは元々女性(同性)に対して興味を持っていたのか、本映画はそこがポイントだと思います。

同級生のイケメン男子にアプローチを受けながら、交差点ですれ違う印象深いエマとすれ違い、その引力に惹きつけられるアデル。

それとは別に、女友達と流れでキスをし、ご機嫌になるアデル。

しかし翌日トイレでまたキスをすると「そんなつもりじゃなかった」とアッサリ振られてしまうのです。

中盤、エマの友達たちとパーティをした際に「女性と男性では何が違う?」と聞かれ「違う。だけどそれがどう違うか具体的に説明できないの」と答えるアデル。

邦画ですが、『LOVE JUICE(ラブジュース)』というつんく♂が関わった映画が過去にあり、それも女性同士の恋愛映画でしたが、男性に半ば無理やり迫られ、トイレで「だから女(自分)は嫌なんだよ」と、吐露する作品もありました。

そちらの作品では、男性と行為を持つ事自体に嫌悪するタイプでしたが、本作のアデルは女性でも男性でも、という感じです(エマが男性もイケるのかは不明。ただし男性も女性も試した結果女性が良いとアデルに話しているのはあるので、根っからダメというわけではなさそうですね)

前半と後半

本映画は、前半の思春期真っ只中の物語と、後半の大人になり人生と生活を考える2部構成になっているのが特徴。

特に後半、アデルは家のホームパーティーのためにせっせと料理を作り、エマの友達に振る舞うのですが、エマの友達はエマ同様にアーティストや俳優といったインテリが集まり、「クリムト」など稀代の画家やアーティストの話題についていけず、またエマは旧友と仲睦まじく密かに嫉妬心を芽生えてしまうのでした。

体当たり演技

『ジョゼと虎と魚たち』の犬童一心監督が、食欲と性欲は直結していて、食べることが好きな人は性にも貪欲といっており、食べるシーンが多い作品でしたが、本作も負けず劣らずに、パスタからケバブまで食事のシーンが多いのが印象的でした。

そして、アデルとエマの性愛シーンは堪能を通り過ぎ、官能。モザイクも多く、まさに二人は体当たり演技。劇場で観るとかなり照れる作品でしょう。

アデルのスイッチのオンとオフ

アデルは平凡な女の子。顔立ちが可愛らしいため男性、女性ともに目が惹くタイプだけれども、両親とも実直で真面目。自身も学校の先生になり安定した生活を送ることを正しいと思い過ごしてきた中、アーティスト志向で実際に裸婦のアデルをモデルにし、作品を創るエマとは正反対。

エマは、画廊のオーナーである友達に気に入られたい気持ちもあり、友達であることと、プロであることは別であるなど、厳しさの反面、逞しさも持っている精神力の強い女性です。

アデルは、基本的にのほほんとした女性だけれど、髪の毛を縛り上げると、スイッチがオンになるように、デモクラシーで雄叫びを上げたり、同僚男性を誘惑したり、海で泳いだりと、平凡で退屈な自分の人生を、小さな出来事で発散させようとしているのが見受けられます。

彼女はきっと、自分の中に欠落しているのが、男性に対する愛情がないことではなく、自分の平凡な才能と人生に嘆いているのかもしれません。

その逃げ口が、性であり、弱さであり、同性の彼女である一面もあるのでしょう。

まとめ

喧嘩別れをした二人は月日が経ち、再会するも結局復縁にはならず、エマの開いた展覧会に招待されたアデルは自身が描かれた自分の絵と、画家として成功する未来への第一歩を踏み出したエマとの、光と影が浮き彫りになった結末でした。

俳優をしていたアラビア系男性とも再会するが、運命の行き違いで恋愛にも発展せず、アデルはこの先もただ安い女性として生きていく後ろ姿に、悲哀が満ちていました。

家族や恋人とも観てほしいですが、おすすめするなら恋愛に悩んでいる方に観てもらいたい映画です。

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